2019年01月17日
地球環境
研究員
野﨑 佳宏
以前、「日本沈没」というテレビドラマがあった。今となっては出演者も思い出せないが、古い映像が記憶の片隅にある。火山が爆発したり、島が海底に沈んだり...。そんなシーンだ。原作は、1970年代に発表された小松左京の同名のベストセラー小説である。
少し粗筋を紹介すると、ある学者が、地震の観測データから地殻変動が原因で日本が沈没するという調査結果を出す。最初は半信半疑だった政府も、次第に事の重大さに気付き、日本人を海外へ脱出させる計画を進める。しかし、事態は当初の予想を超えるスピードで進展し、日本列島は完全に消滅...。そんな話だった。
最近、小難しい「気候変動問題」の話を耳にすることが増えたが、そのたびに「日本沈没」を思い出す。ドラマの中で学者が声高に危機を訴えても、半信半疑の一般の人々には響かないという点も似ている。
今でこそ、さすがに「温暖化はウソ」という論調はなくなったが、人は都合の悪い事実からは目をそむけたくなるものだし、知りたくないことには耳を傾けようとはしない。そうこうしているうちに後戻りできないほど事態が深刻になり、最悪の状況に至った歴史はいくらでもある。「まだ大丈夫」と手を打たないまま時が過ぎ、突然、現実を突き付けられることは十分にあり得る。
「最近の日本の気候は少しおかしい。何かとてつもない天変地異が起こる前触れなのではないか」―。そう思うことはないだろうか。そもそもニュースなどで日常的に「例年にない」気象という言葉が使われていることに慣れてしまってよいのだろうか。
そういった漠然とした不安を刺激する発表が2018年10月にあった。科学者の集まりである「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が特別報告書の中で、地球温暖化の気温上昇を産業革命以前と比べて1.5度に抑える必要性を訴えたのである。
結論から言えば、この警告はドラマ張りの日本沈没に直結するような極端なものではない。しかし、地球の変調を予見させるには十分だ。海面上昇などによって、一部の脆弱な島国にとって「沈没」は十分にありえるシナリオだからだ。
だからこそ、フィジーなど島嶼(とうしょ)国の指導者は温暖化について話し合うため、各国が集う国連気候変動枠組条約第24回締約国会議(COP24)などの国際交渉の場で気候変動による自国消滅の危機を強く訴え続けている。
今後、こういった島嶼国では他国への移住を視野に入れた対策も必要になるかもしれない。その場合、どこにどうやって移住させるのか。旧約聖書に登場する「ノアの方舟」が本当に必要になるかもしれない(ノアの方舟を用意するような対策を気候変動の専門用語では「適応」策と呼ぶ)。それでは、だれが一体、「ノアの方舟」を用意するのか―。こうしたことも国際会議で議論して決めていく必要がある。
果たして人類は気候変動に真剣に向き合ってきたと言えるだろうか。先進国と途上国が自らの主張を声高に繰り返していがみ合ったり、CO2の排出大国でもある米国がパリ協定から離脱を宣言するなど、各国はエゴをむき出しにしている。温暖化そのものを止められない状況は、「日本沈没」の中で、深刻な事態に追い込まれるまで右往左往していた政府や人々の姿と重なり合う。
地殻変動ではなく気候変動という形で、人類の悲劇がひたひたと確実に迫り、時が来れば凄まじい勢いで襲い掛かってくるかもしれない。そんな悪夢のシナリオが現実のものになる可能性さえ否定できない。
イメージ写真(鹿児島県・奄美大島)
(写真)中野 哲也
野﨑 佳宏